2021年 06月 04日

指進まず

今朝からやっと更新する気になっていたのですが、いざキーボードに指を置いても、ちっとも進みません。
以前は、考えるより前に指が勝手に動いていたんですけど、すっかり錆びついてしまいました。

書こうと思ってたことはたくさんあるんですけどね。もうこの何年も、人と会ったり会話をする機会が極端に減っているので、こういう場所で思ってることを吐き出しておかないと、その少ない他人との会話の機会に、ぐだぐだどうでも良いことを話し続けてしまい、不毛な時間に終わってしまいます。

昨日も、訪問介護の会社から、支払い確認の件で電話が入った際、用事終わって切ろうとしているところで、あれこれ話を引き伸ばしてしまいました。


火葬終わって、いつの間にか5月も終わり、もう6月最初の週末を迎えます。

そう、骨になっちゃったんですよね。
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家で過ごす時間がほとんどで、スーパーへの買い物もなるだけ減らして、10日に一回くらいのペースにしています。
長いことご無沙汰になってしまった教会へは、毎週末行ってます。
緊急事態宣言のため人数制限を行っていて、土日3回のミサを地域ごとに振り分けているので、日曜朝とは限らないんです。
いつもそこで、自分に問いかけるんですが、いっこうに「委ねる」という気持ちになれず、どうどうめぐりの思考を繰り返してます。
相変わらず、後悔と反省、そしてもう、今後に生かされることのない対策を考えたりしちゃってます。

4月は、特に腎臓の病気についてGoogle検索をして調べていたので、5月になってその検索が反映されたのか、YouTubeのおすすめ動画に、やたらと腎臓専門医の解説する番組が表示されるんです。

そして、夜中に何度か起きる習慣がなかなか治らず、トイレから布団に戻るとその動画を見て勉強し、今度母が戻ってきたら、ああしよう、こうしようと考えると頭が冴えてきて眠れなくなるということの繰り返しです。
いまだに、母はまた悪化して入院し、そろそろ退院してくるって気分だったんですよね、5月は。

ただそれも、もう1ヶ月以上が経過して、そろそろ、頭が現実を受け入れる状態になってきたようにも感じてます。

あー、そうなんですよ、病院ね。
深夜に見たばかりの動画で、医学に殺される日本人というものがありました。
医者にかかって死ぬケースが圧倒的に多い、確かにその通り。
母の場合、整形外科以外、ほとんど病院へ行ったことが無かったのに、父の死後、ずっと母と過ごしていく中で、自分が膠原病のため、ロトルアで治療していたことから、つい病院に頼る思考に変わってしまっていて、自分から母を病院へ連れて行くことが多くなってしまいました。

2018年の2回のロトルア病院での入院は、1回目のインフルエンザ後の体力消耗も、考えたら家でゆっくり過ごしていれば良かっただけ、そして2回目の入院は、2017年に心臓弁膜症と診断された時に、ほとんど自力で治していたのに関わらず、処方された薬を飲み続けていたことが原因だったんですからね。

スタートから間違ってしまい、そのままずるずる、挙句の果てに、致命的な市立病院入院という結果に。

2018年の11月終わり頃、母の挙動が少し変になったので、頭の心配をして、順当に順番を考え、内科クリニックのかかりつけ医に行ったのですが、その際、バイアスピリンという、血をサラサラにする薬を処方されました。

その後、やはり違うと思い、先生にMRIをお願いして、その結果、慢性硬膜下血腫と分かったのが、市立病院の始まりでした。
この辺りのことは過去に何度か書いてますが、つい最近までは、この頃なんで、北原国際病院を見つけなかったんだろう!と、そのことが悔やまれるということでした。

あれ?病院名書いたの初めてだったかな?

でも、この、12月の頃の母の様子は、大したこと無かったんですよ。
調べた結果として分かったことも、慢性硬膜下血腫は大したことなく、実際その後も問題なく吸収されました。
もし行ってなかったとしても、問題にはならない症状でした。

そして、2019年年明けの異常、これが内出血で、この市立病院が致命的と書いたのですが、この内出血、原因は、内科クリニックで処方された、バイアスピリンを飲んだせいとも考えられるんですよね。
そもそも、慢性硬膜下血腫に対して血をサラサラにする薬を飲むのは、悪化させることですし。

慢性硬膜下血腫の原因は、2018年9月のNZ2回目入院の際、母が病室で留守番してる時、床に倒れて頭を打ったことと思われます。
このことも、NZで入院してなければ、もともと無かった事ですしね。

書くまでもなく、全部が病院へ連れて行ったことが招いた結果で、それを行ったのは紛れもない自分ですから・・・。


さらに、今年の2月の入院も不要だった・・・。さらに3月も。
これで母にとどめを刺してしまった。
母は、入院するほどの誤嚥性肺炎でもなく、酸素飽和度も測り方次第で、そう悪いものでも無かった。

なんで、訪問看護師さんに頼ってしまったんだろうと・・・。

人によるでしょうが、母の場合は、医者も看護師も不要だった。
自分の膠原病治療経験が、問題はありましたけど、総じて良かったということもあり、この原点を忘れてしまってました。


母の死因って、正直、意味不明なんですよね。
結局、持病で死んだ訳じゃない。
正確に書くとしたら、医療過誤、でしょうね、間違いなく。


そう、ワクチンもね。
母が生きていたら、間違いなく、ワクチンは辞退してるでしょうしね。
そういえば、死んだ翌日に、市からのワクチンクーポンが届きました。

自分の場合、もう、どうなってもいいので打っても打たなくても良いんですが、将来NZに戻る際、ワクチンが必要になるんでしょうね。それならそれで良いんですが、まともでしたら、インフルエンザワクチンも一度も経験ないのは、母も自分も同じなので、当然パスしてるでしょう。


せっかく更新する気になった話題に戻さないと。

今週月曜日に嬉しい電話がありました。
昨日の木曜日に、家に来てくれた人がいます。

今まで、5月の連休中に1人、中頃の週末に3人来てくれたのは、同級生。
ビール、ワイン、お惣菜やおつまみで、ワイワイ話して、それも楽しかったです。
特に、連休中は、NZのワイン1本、日本のスーパーのワイン1本を開け、久しぶりに飲んだせいか、一気に酔いが回り、何十年ぶりかに?夜中もどしちゃいました・・・。
翌日は昼過ぎまで頭痛で大変でした!

それで、月曜に電話くれた人は、自分の子供と言えないこともない年齢。
なので、久しぶりにちゃんと料理をすることにしました。

月曜火曜と、買い物計画を考え、水曜日にあっちこっちスーパーもはしごして、買い物に行ってきました。
節約しながらの買い物は難しかったですが。
イオンのスーパーを歩いてる時、つくづく、仕事したいなーと思いましたね・・・。


そして昨日の朝、教会に用事のある近所の方を車で送り、駐車したまま歩いて、父のお墓参りへ行きました。
母の死後、2回目のお墓参りは、家にたくさん咲いてるあじさいを持っていきました。

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ここに初めてきたのは、父の死後半年以上経って、やっと帰省できた2013年。
その頃から、母の名前は写真のように、父の下に、父と同じように、生年月日も書かれていて、ただ、死亡日だけが彫られていない状態でした。

初めてこれを見た時、ゾッとしました。
母にそう話すと、母はいたってのんきな性格ですから、父と並んで書かれていれば、父も寂しくないだろうねって・・・。

ただ、書き方、彫り方ってあるんじゃないかな?と思うんですけど、一般的にはどうなんでしょうね?

これを見て思ったことは、あー、母の死を待っているんだーって事でした。

お墓が作られた経緯は知りませんし、いつの間にか出来てました。
そもそも、我が家にお墓があっても、独身の自分で代は終わりですから、後を見る人がもう居ません。
自分自身がここに入ることになるのかどうかすら分かりませんし、自分が死んだら管理費滞納で、撤去される運命でしょう。
大金を払ってここに作った意味があるんだろうか?
墓じまいをするにしても大金がかかります。

桜もあって、遠くに富士山も見えて、良いところだよと母は単純に喜んでましたが、
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木が生い茂り、空いていたお墓もびっしりになり、富士山はもう見えません。
ジョンが生きていた頃は一緒に連れていきましたが、この状態だと、周りのお墓に迷惑かけそうです。

お墓も含めて何もかも、今後の問題は本当に山積みです・・・。


そして、あらためて、こうも感じました。
お墓を作った時点から、我が家で母の死は望まれていたんだと。
すぐに死ぬ運命にあった。

それに抵抗していたのが自分だったんですね、きっと。
8年、なんとかやってきて、ここで力尽きたということでしょう。

まあ、父とジョンは、母が来るのを待ち望んでいたでしょうけど!
この2年、特に今年になってからは何度も、まだ呼ばないでよーってお願いしてたんですけどね。

ロトルアで、ヘリコプター会社のグレンが死んだ時に最初の1週間、ずっとハンガーのオフィスの机に気配を感じていたので、母の気配も感じると思っていたのですが、まったくそれがありませんでした。
母はあっという間に天国へ行って、向こうで歓迎されているので、こちらに戻る余裕は無かったんだろうなーと、すごく納得できました。

ロトルアのご近所さんに、こんなことをメールしましたが、結局母をここまで引き止めたのも、自分のわがままだったんだろうなーと。
ロトルアのご近所さんのお父さんも、今年の3月に亡くなり、その4週間後にお母さんも亡くなったとのことでした。


もう30年近く、途中戻った時期もありますが、ほぼ、ここを離れて生活してましたから、この家のほとんどは、母の痕跡だらけです。
壁に貼ってるカレンダー切り抜きのゴールデンの写真も、文具も、食器も、服も、そしてたくさんの写真も、母と一緒に過ごすようになってから、ほぼ同じ状態で生活してましたから、これらに囲まれ、これを維持していくか、どう処分するか?
先へ進むのは難しいです。


せっかく作った写真に戻ります。
母の遺骨の前にある写真はこれ。
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10年以上前だと思います。
多分、八千穂山荘で、ロワゼール神父様と父。
父も神父様もとっても良い顔してます。
この写真、通常サイズと、大きなサイズと2枚ありました。
いい写真なので、母が大きいのも作ってたんでしょう。


NZの会計士とのメールで、教会の話題でやり取りしました。
その際、自分が幼児洗礼であったことや、侍者をしていたことを書いたら、なんと会計士も同じく、侍者をやっていたってことでした。
その会計士は、1997年、会社登記の際、電話帳を探してたまたま見つけ、電話したら感じ良かったので、それ以来の付き合いの人です。
彼も書いてましたが、神様のお導きだったんだろうと。

母が整理していた本棚から昔々に見ていたとっても懐かしいアルバムを見つけたので、彼に写真を送りました。
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ちゃんと聞いたことが無いのですが、多分自分が幼児洗礼の際、母も洗礼受けたのかも。
多分父もそうだと思うのですが、この時のは、母の写真しかありませんでした。


そして、幼稚園の頃の先生、シスターでしたが、数年前から手紙や電話も何度かしてくださり、今回もたびたび連絡をくださってる方に、懐かしい写真をお送りしようと、これらも撮っておきました。
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母はまだ30前かな?

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ちょっとだけ大きくなってから。
この鯉のぼりは、こちらにも持ってきていて、おそらく、家のどこかにまだしまってるんじゃないかと思います。
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父も母も、30歳ちょっとです。


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こちらが幼稚園の時の。
このサイズで顔も分かりませんし、もう55年も前のものなので、ぼかす必要は無いと思いましたが、一応、自分と先生以外はぼかしておきました。
なぜだか、自分はど真ん中に座っていて、両手に花の状態でした。


昨日はこんな写真も一緒に見ながら、水曜の夕方から仕込んでおいた、唐揚げ、とんかつ、マッシュポテト、サラダ、そしてお赤飯。

教会から帰宅後にすぐ揚げて、
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ちょうど揚げ終わる頃にやって来て。
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車で来たので、もちろんノンアル。
母の写真も置いて一緒に乾杯。

母もきっと喜んでいると思うので、昨年の11月の誕生日以来のお赤飯でした。


普段会わない人との食事は自粛でしたっけ?
彼のおかげで、どんよりした気分が晴れ、準備その他で忙しく過ごし、今日は更新まで出来ちゃいました。

ありがとう!

それにしても、何時間かかったんだろう、この更新に・・・。


by masaya-iwata | 2021-06-04 20:17 | 日本


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